愛情と宗教

2001年9月25日
バイト先のコーヒーショップは12時を過ぎると

ひま。

で、いろんな雑談が始まる。
今日の話題は恋愛と宗教(汗

チナはもちろん(何でもちろんだ?)無宗教。
カソリックとプトテスタントとユダヤ教の違いすらあまりよくわからない(不勉強すぎ)なチナには重い話題だった。
(とかいって一番チャチャ入れてたけど)

うちのコーヒーショップはいろんな宗教を持った人がいる。

で、彼女らの意見は、
「恋人または旦那さんは同じ宗教の人じゃないといやだ」
だそうだ。

愛は宗教を越えないのか?

愛があれば性別なんて、なんて言っている某友人に教えてやりたい。

恋人(婚約者)の宗教に改教して結婚したという人の話もたまーにきく。

信仰の深い人のことをバカにするつもりはさらさらないが、某宗教の毒ガス事件以来、宗教と聞けば神聖なイメージより胡散臭さが先にある俗人、チナ。

宗教に関する話題は、避ける傾向がある。
触らぬ神にたたりなし。
神の沙庭に荒足を踏むな。

でも、やっぱり日本人の宗教信仰者の比率はほかの国に比べ低いなと思う。
(私的なモノなので、どこの国と比べてと聞かれても困るが)
少なくとも、チナの日本にいたときの友達とアメリカにいる友達とでは宗教に所属してる人としてない人との差は一目瞭然。

宗教なんてないと言うとすごく驚かれることもしばしば。

アメリカでも若い世代の人達は無神論者が多いけど。

どうしてそんなに俗人ばかりなのと聞かれても、「うーむ」と唸るしかできない。
けど、宗教に属してる人達だって聖人ばかりではなかろう。

たぶん...、とチナは3年くらい前に何の気無しに言った韓国人との会話を思い出す。

その時はクリスマスでクリスマスはどんどん商業化してて本当の意味をわかっていない若者が多いねって話題から伸びてきた会話だった気がする。

日本人は何でも会社や個人の利益に結び付けるのがうまいよね(信仰心または神々に対する畏怖がないから何でも祭り騒ぎになるのよといいたげだった)。カシコイヨネーといわれ、少々ムッとしていた。
若かったなー。

「たぶん、日本人は宗教を捨てなきゃいけない状態に追い込まれたんだよ。
第二次大戦前、日本国民は天皇=神だった。でも敗戦して天皇は自ら自分は神ではなく人間だと宣言した。
それはたぶん当時の日本人にとってすごくショックだったと思う。天皇が指揮する戦争はいつも聖戦で天皇=神のものだった。
あれは裏切りだった。
それまで日本人は神=天皇のために戦ってたんだ。遠い異国で幼い息子を亡くしても『お国のために役に立ってよかった』と言わなきゃいけなかったんだ。
それなのに神は神じゃなかった。
その時多くの日本人は神という存在を永遠になくしたんだと思う。
戦後、高度成長期が日本にあった。
あたしはそれはおこるべくした起こったものだとみるよ。
日本人はいるかいないかわからない神に頼るより、実際に頼れるもの、目にみえるもの、裏切らないものを選んだんだ。
わたしはそれをあさましいとは思わない。逞しいと思う。
今の日本があるのは神様がいないおかげだ」

ふふふ。
無知というのは恐ろしいですね。
もちろんこれはあたしの本当に私的な意見であり、そんな本をどっかで読んだとかそんな話を聞いたとかは無かった。
日本人=無宗教者=野蛮人という固定観念を持った彼女に一矢報いたくて(笑

無宗教者バンザイ。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

この日記について

日記内を検索