安楽死の賛否

2001年7月26日
「ガンになったら、オレは自殺する」
と、クリスが言ったことがある。
何で自殺なんかするの?と聞き返すと
「チナはガンで死んだ人を見たことないだろう」
と返ってきた。
確かに無い。

クリスのおじいさんは、ガンで死んだ。
詳しくは聞いてないけど、何年もガンと闘い、彼自身も家族もくたくたになりながらの最期だったのだろう。
確かにガンという病気は、末期になれば本人にも、周りの人たち(それが近しい人であればあるほど)にとって苦痛でしかない。
治る見込みのない、確実に死に赴く病気。(手後れになれば)

「何年もガンとの闘病のすえ、最期に死んでくれたときは、家族ともどもホッとしました。やっと解放されるって」
と、(またうる覚え)ガン患者の遺族が記した言葉を思い出す。
残酷だけど、それが現実なのかもしれない。

患者本人が苦しんでいるのを見て、何もできない苦しさ。
日々患者が衰えていくのを見なければいけない悲しさ。
医療費などの問題を抱え込み、不安、苛立ち、疲れ、そして鬱。

精神的にも、肉体的にも、経済的にもなに一つ良いことなどない。

今、クリスのおばあちゃんが同じ病気と闘っている。
お母さんの体内からも腫瘍が見つかっている。悪性なのか良性なのかはわからない。

「うちの家系はみんなガンで死んでるの。だからオレもきっとガンで死ぬよ」
クリスは平然と言ってのける。

前にそのおばあちゃんチに遊びに行ったとき、彼女が杖をついて歩くたびに関節が"コキコキ"なるのを聞いて、
「ばーちゃん、油ささなくちゃ」
なんて冗談いってたクリスとスティーヴ(クリスの弟)。

彼女の病名は肺ガン。
たばこが大好きで、病院にいたころは看護婦にも家族にも禁煙を迫られていたのだけれど、今は誰もそれを咎める人はいない。
彼女の病名は彼女自身にはふせられているが、たぶん、もうずっと前から彼女は知っているのだろう。

「ガンになったら、オレは自殺するよ」
「チナが先に死んでたらいいよ。でも生きてたらモルヒネ何本も打って痛みだけ取っとくから生きとけ」
「ガンじゃなくてヤク中で死にそう」
「おう、死んどけ死んどけ、ヤク中で。少なくても死ぬまでハッピー」
「チナならやりかねない...」

死ぬ権利(もしくは延命治療を拒否する権利)はあると思う。
植物状態になって、または苦痛を味わう毎日、そうでなくてもパーキンソン(あってるのかな?)病のように一人では生きられない状態でただひたすら死を待つなんて残酷すぎはしないか。

毎日ただひたすら死を待ち、死にあこがれ、死だけを望む。

心理学者たちはそれは鬱から来るものだとしているがそうでもないだろう。

チナの昔のクラスメートの一人にスペインから来た人がいて彼女が、
「スペインにパーキンソン病になった男この人がいる。
彼は教師で、スポーツや芸術に幅広く興味を持ち、カウンセリングにも通いその病と闘っていた。彼のカウンセラーの話からは彼の精神状態はとても良好であるといわれていたけれど、彼はどうしても死にたいと主治医に申し出ている。
彼の話によると、自分の未来に意味を見出せない。自分の病気は決してよくはならない。自分は自分の未来や病を悲観しているのではない。鬱からでもない。安楽死を望む」
パーキンソン病はただ単に体の筋肉がなぜか動かせなくなる病気で、栄養さえ摂取していれば寿命までずっと生きていられる(だったような気がする)

詳しいことはかかないけれど、チナは彼を死なせてあげてもいいのではないかと思った。彼の意見を、意志を尊重してもいいのではないかと。

医療では、すべてのどんな痛みからも患者を解放できる手立てがあると聞いたことがある。
でも。

クリス。
本当に君がガンになって、誰もその痛みを消し去ってあげれないときは、チナがとどめをさしてあげる。
一突きで痛みから解放してあげる。

そんなことを考えながら、チナはクリスの胸に耳を当てる。
鼓動が聞こえる。

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