カミングアウトしたら、びっくりされちゃった。
2001年6月12日日記が消えてる...。
せっかく、苦労して(ローマ字打ちは思ったより大変だった)日記書いたのに。
こっちの日付が変わっても、日本の日付が変わらなければ、上書きされちゃうのね。マヌケなヤツ。
今度から、気をつけよう。
チナは、English onlyのホームページを持ってるのだけど、そこでこの”家出日記”のことをちょっと書いたら、びっくりされてしまった。
「ティナ、家出してたの?」って。
はい、一応現在進行形です。
実は、クリスも知らなかったりします。
ここ一年くらい、(クリスと同棲しはじめて)随分安定したのだけれど、一年半くらい前までは、チナはとてもすさんでいた。
兄貴に二万円握らされて,「出て行け」といわれた。家族からのプレッシャーと、ちぐはぐな関心。何もかもいやだった時にいわれたこの言葉は、チナを自由にした。
勉強さえしていれば、それでよい、という親。だからチナを机に縛り付けていた。チナは黙って机に向かって本を読んだり、散文みたいのを書いたりして中学、高校をすごした。
顔を合わせるたびに、勉強してるか?だの、OOさんの息子/娘は...とかって言っていた。
チナはOOさんて人の娘じゃないし、興味ない。
初めのころはそうやって反発したけれど、中学卒業のころになると、そんな無駄なことはしなくなった。
あたしたちは、互いをまるで得体の知れない動物を見るように距離を置いていったし、近づく努力もチナはしなかった。時々、親がうるさく勉強のことを言ってきたとき、心の中では「そんなことより親としてもっと知っておかなきゃいけないことないの? あたしたちの間にあるのは、親子としての単なる事実であって、中身がないじゃない。 あたしを一人の人間として、娘として何を知っているの?あなたたちがあたしのことで知っているのは、成績だけだ!あたしの好物が何か知ってる?嫌いなものは?好きな音楽、あたしの友達。あなたたちは何も知らない。あなたたちが本当に欲しいのは、千夏という娘じゃなくて、あなたたちのためにいい成績を取って、いい大学に行くロボットだけだ!!」と悪態ついていた。
いつからだろう、そんなことさえしなくなったのは。親や兄弟とコミュニケーションを取らなくなった。
誰に何といわれても、風のように聞き流し、まるで遠くから人事みたいに自分のことを見ていた。
その時のチナはまるで人形のようだった。その目は開いていても名にも見ず、その口は何も言わず、心は何も感じなかった。
ある日を際に、まるでぜんまい仕掛けのおもちゃのネジがきれたようにチナは何もしなくなった。勉強だけじゃなく、話すのも、ご飯を食べるのも。
周りの人間は、一生懸命チナの機嫌を伺ったり、叱咤したりしたけど、チナは変わらなかった。
別にストライキを起こしてたわけじゃない。ただ、すべてのことに意味がないような気がして止めてしまっただけ。
毎日、チナの成績と、お金の愚痴ばかり聞かされるようになって、チナは初めて、うざったいと思った。
感情というものを殺していたチナが久しぶりに感じた感情。うざい。
けれど、毎日の生活にはほとんど変化なく、無関心に、ただたばこだけふかしながら過ごしていた。
「おまえ、何がしたいのよ?」
帰省していた兄貴が喧嘩腰に話し掛けてきた。
無視。
「世の中そんなに甘くないんだぞ。そんなんでいいと思うのか?!」
ウザい。
兄貴は、30分くらい語気を荒げながらあたしに言葉を投げつける。
夜中の2時過ぎだったように記憶している。火の気のない寒い部屋でチナは一心にヘンプ細工を作っていた。手がかじかんでいた。
「出てけ」
不意に兄貴がいった。
「二万やるから出てけ」
その代わり、通帳を取られた。チナの通帳にはその時20万以上あったから、それは痛いと思ったけれど仕方ない。
チナは兄貴の目の前で荷物をまとめはじめた。
3時になって、兄貴も疲れたのか、部屋に戻った。
「ちゃんと出てけよ」って変な捨てぜりふを残して。
午前5時。三月半ばの北海道。
横殴りの雪が降っている中、あたしは始発のバスをつかまえるためバス停に向かった。
バスの中で、これはちょっとした小説よりもドラマチックだと一人で笑った。
せっかく、苦労して(ローマ字打ちは思ったより大変だった)日記書いたのに。
こっちの日付が変わっても、日本の日付が変わらなければ、上書きされちゃうのね。マヌケなヤツ。
今度から、気をつけよう。
チナは、English onlyのホームページを持ってるのだけど、そこでこの”家出日記”のことをちょっと書いたら、びっくりされてしまった。
「ティナ、家出してたの?」って。
はい、一応現在進行形です。
実は、クリスも知らなかったりします。
ここ一年くらい、(クリスと同棲しはじめて)随分安定したのだけれど、一年半くらい前までは、チナはとてもすさんでいた。
兄貴に二万円握らされて,「出て行け」といわれた。家族からのプレッシャーと、ちぐはぐな関心。何もかもいやだった時にいわれたこの言葉は、チナを自由にした。
勉強さえしていれば、それでよい、という親。だからチナを机に縛り付けていた。チナは黙って机に向かって本を読んだり、散文みたいのを書いたりして中学、高校をすごした。
顔を合わせるたびに、勉強してるか?だの、OOさんの息子/娘は...とかって言っていた。
チナはOOさんて人の娘じゃないし、興味ない。
初めのころはそうやって反発したけれど、中学卒業のころになると、そんな無駄なことはしなくなった。
あたしたちは、互いをまるで得体の知れない動物を見るように距離を置いていったし、近づく努力もチナはしなかった。時々、親がうるさく勉強のことを言ってきたとき、心の中では「そんなことより親としてもっと知っておかなきゃいけないことないの? あたしたちの間にあるのは、親子としての単なる事実であって、中身がないじゃない。 あたしを一人の人間として、娘として何を知っているの?あなたたちがあたしのことで知っているのは、成績だけだ!あたしの好物が何か知ってる?嫌いなものは?好きな音楽、あたしの友達。あなたたちは何も知らない。あなたたちが本当に欲しいのは、千夏という娘じゃなくて、あなたたちのためにいい成績を取って、いい大学に行くロボットだけだ!!」と悪態ついていた。
いつからだろう、そんなことさえしなくなったのは。親や兄弟とコミュニケーションを取らなくなった。
誰に何といわれても、風のように聞き流し、まるで遠くから人事みたいに自分のことを見ていた。
その時のチナはまるで人形のようだった。その目は開いていても名にも見ず、その口は何も言わず、心は何も感じなかった。
ある日を際に、まるでぜんまい仕掛けのおもちゃのネジがきれたようにチナは何もしなくなった。勉強だけじゃなく、話すのも、ご飯を食べるのも。
周りの人間は、一生懸命チナの機嫌を伺ったり、叱咤したりしたけど、チナは変わらなかった。
別にストライキを起こしてたわけじゃない。ただ、すべてのことに意味がないような気がして止めてしまっただけ。
毎日、チナの成績と、お金の愚痴ばかり聞かされるようになって、チナは初めて、うざったいと思った。
感情というものを殺していたチナが久しぶりに感じた感情。うざい。
けれど、毎日の生活にはほとんど変化なく、無関心に、ただたばこだけふかしながら過ごしていた。
「おまえ、何がしたいのよ?」
帰省していた兄貴が喧嘩腰に話し掛けてきた。
無視。
「世の中そんなに甘くないんだぞ。そんなんでいいと思うのか?!」
ウザい。
兄貴は、30分くらい語気を荒げながらあたしに言葉を投げつける。
夜中の2時過ぎだったように記憶している。火の気のない寒い部屋でチナは一心にヘンプ細工を作っていた。手がかじかんでいた。
「出てけ」
不意に兄貴がいった。
「二万やるから出てけ」
その代わり、通帳を取られた。チナの通帳にはその時20万以上あったから、それは痛いと思ったけれど仕方ない。
チナは兄貴の目の前で荷物をまとめはじめた。
3時になって、兄貴も疲れたのか、部屋に戻った。
「ちゃんと出てけよ」って変な捨てぜりふを残して。
午前5時。三月半ばの北海道。
横殴りの雪が降っている中、あたしは始発のバスをつかまえるためバス停に向かった。
バスの中で、これはちょっとした小説よりもドラマチックだと一人で笑った。
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